田植え
今日は民族歌舞団「荒馬座」http://www.araumaza.co.jp/のイベントで、埼玉県は美里町へ田植えをしに行ってきました。
苗をさわるのも、水をはった後のたんぼに足をつけるのも、全てがはじめての経験。
この苗の根っこをよくみると、玄米から芽が生えています。あたりまえの循環の形なんだけど、まじまじと苗を観察することなんてめったに体験できない。
自分達が足跡をつけたあとに植えていくから、ほられた部分を手でならしながら植えていきます。
それがなかなかしっかり植えられないのよね。
志半ばで、半身浮いたままのかわいそうな苗の姿も・・・。
最後の方になると中腰をやめて、前に両手をつけたくなってきます。
垂直に足をつけるより、つま先から斜め前に足をいれていくと、そんなに足をとられずに歩けるらしい。
次回1月末に「準座員25周年公演」というのがあります。
そこで百姓踊りといって「畔ぬり」、「田おこし」からはじまり、「脱穀」「荷車」までの田植えの一連の作業を、永遠と流れる同じお囃子の中で展開されていく演目をします。
基本となるステップが、少し内股でつま先から足をつき、後ろに足を蹴り上げる感じのもの。
足をついて泥から足を抜く瞬間、そのような足取りになっていたのに気づいた時は、演技部準座員として大きな収穫だったな~と一人でワオ~と大満足。
荒馬座の座員さん達は、我々が作業中、終始お囃子を奏でてくれていました。
とてもリッチな気分になれる田植えだったな~。
お囃子を奏でる人と、田植えをしている人たちとのcall&responseは、疲れてきた時の元気付けになりました。
まっすぐ植えようと心がけたつもりがガッタガタ。
こうなると機械での収穫もできないので、10月はこの苗を刈る作業も私達でやります。
私達の田んぼの隣でも、同じように田植え作業をしている農家の方々がいました。
少し農家のおじさんと立ち話をして、今の農家の現状やら、おじさんの生活の話を聞きました。
その中で興味深かったのが、
「自分達は米ができるまでの最大限の努力はおしまない。でも天災がくれば自分達でどうにかしようにも限界があって、最後にはお天道様次第なんだよなあ」
と言っていたこと。
どんなに人として頭つかって知恵を振り絞っても、どうしようもできないことがある。ということを、この農家の人たちは日々実感しているのだと思います。
そういう絶望するような瞬間になった時どういう気持ちですか?って聞いてみたら、
おっちゃんは「大らかな農家になるか、けちけちした農家になるかどっちかだ」と。
おっちゃんは畑とか、昔は養蚕なんかもやって、後は自分の心が豊かになれる場所を見つけていると言ってました。その場所って「俺は好きなカラテやってるから元気なんだよ」と、どっちかというと田んぼよりそっちに力を入れているらしい笑。
日本の芸能も農作業が背景にある演目が多く、こういった人間の力の及ばない存在と、うまく共存できるようにお天道様を時にはおだてて、祈りを伝えてきた結果、残っているものなのかなと思ったりもしました。
努力はしたけど、結果っどうしようもない場面になったら、人は心が豊かになれる場所を探したり、楽器もって踊ったり、そういう原風景をこの美里の田んぼに感じることができました。
人間以外の力を実感している人の話を聞くのはとても興味深かったな~。
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コメント
これいい体験だったねえ。
土着のココロは土に触れなければわからんよな。
触れなければわからんことだらけだ、世の中は。
と思う、今日この頃なのでありましたw
投稿: migakick | 2008年6月 9日 (月) 02:57
くっくっくっ!今度は田植えの方をやっていたんだね(^^)
忙しいこと何よりですなぁ!
田植えの時にどんなお囃子していたのか今度じっくり聞かせてください。
投稿: さと | 2008年6月 9日 (月) 15:16
むか~し、社会の教科書で「畑で働く人を景気づけるために始まったのが『田楽』です。」っていうのを絵付きで見たけど、まさにそれ!?
農業と民俗芸能は切り離せないものなんだろうね。
投稿: みつ | 2008年6月 9日 (月) 19:28
みがきっく>
触れなければ確信もって表現できないことってたくさんあるね。
農家のおっちゃんに、「その場所の空気を肌で感じるだけでもいい刺激になるべー?」っていわれました。
学生の頃は時間がありあまってたから、ここぞとばかりいろんな場所にいってたけど、今は自由がないな~。
今とっても環太平洋文化に興味があって、一年に一ノルマ的感覚で日本の沖縄~ベーリング海いってチリいってニュージーランドいって台湾いって、日本に戻ってくる、ぐるっと環太平洋ツアーを細切れに行きたい、ささやかな野望です。
投稿: さゆぽん | 2008年6月10日 (火) 23:17
さとちゃん>
今度は田植え側を経験してきました笑。
最初は好奇心で集中してやってるんだけど、
手が慣れてくるとだんだん無の境地で作業してるんだよね。
そこで、お囃子が流れてくると確かに作業が楽しくなってくるし、疲れ知らずになっている自分がいる。
音楽って単調な作業をしてるときって、そういえばいつも身近に存在していたな。
軽作業の工場バイトをしていたときも、
大学で後は手を動かすだけっていう制作の時も、
家でパソコンの仕事をしている時も、
いつも作業を後押ししてくれる存在です。
とても自分の生活の中で、きってはきれないものです。
投稿: さゆぽん | 2008年6月10日 (火) 23:26
みっちゃん>
そういえば、阿波踊りの由来って聞いたことある?
こないだ阿波踊りの生き字引的存在の徳島の方とお話したんだけど、市民に好かれていたいたお殿様を「あいつはえらいやっちゃ(偉いやつだ)」って褒め称えて大騒ぎしたのがはじまりとかいってたな~。大分はしおっちゃったけど笑。
祭でうかれた酔っ払いが千鳥足で踊りはじめたのが阿波踊り?とか自分で勝手に想像しちゃってたけど!
歴史を見ると、阿波踊りはスター的存在がでてるあたりで、
あまり日常生活からうまれた踊りではないことは明らかだね。
とても演芸色が濃い分、祭の目的が違うよね。
投稿: さゆぽん | 2008年6月10日 (火) 23:42
面白い体験をしてきたね。
美里町は利根川流域。農業は雨次第、川次第。
中でも特に米作りは川と密接にかかわっているのよ。
(ちなみに讃岐は川がないので溜池になるんだけど)
自然と―川とどう折り合いをつけるか。
それが私が卒業時にやった“水防”という言葉で表される
川とのつき合い方のようなことなんだ。
そういう中で、祈り近い形で踊りが発生したんだろうね。
投稿: 愛虎 | 2008年6月15日 (日) 17:32
あいちゃん>
「水防」か~。
防ぐことで折り合いをつけるってことね。私は受け入れることばっかり頭にあったから違う視点にちょっぴり感動。
おもしろそうな論文だ。
当たり前の話だけど、受け入れっぱなしだと定住できないものね。
ゴーヤ育ててますか?
さゆぽんはもらい物ばかりだけど、明日葉と米を育て始めたよ。西日しかあたらない狭い通路で笑。
投稿: さゆぽん | 2008年6月18日 (水) 08:32
いやいや、言葉は「水防」って防ぐという字がつくけどね
結局、防ぎきれないから、どこから受け入れるかってことになるの。
防ぎつつ、受け入れる。
川の特性・地域の特性に合わせてね。
利根川は大きいから自分達の地域の問題だけで済まず
本川・支川、上流・下流、利害が入り組んでいて
とっても難しい川なんだ。
投稿: 愛虎 | 2008年6月19日 (木) 00:28
愛虎ちゃん>
今日、宿河原堰の近くで笛吹いてたんだけど、
堰が開いてドードドドー!と水を流してたんだけど、
いったいあれは何やってたんだろう。
多摩川にとても近くに住んでいながら、
多摩川の水防に無知なのもよろしくないことね。
投稿: さゆぽん | 2008年7月 1日 (火) 23:57
ほ~、この時期にゲートを開けるとは??
宿河原堰は水位をあげて、二ヶ領用水に水を流し込むためのもの。
農業用水だった昔は、田んぼで稲を育てるこの時期に
ゲートを開けて水位を下げるなんてありえないんだけど、
今は農業用水の役目はないからね。
点検とか改修工事で位を下げるためにとか
洪水時に河川水の流下を阻害しないために開けるとか
そんな理由が考えられるけど、雨の多いこの時期に河川改修はあまりやらないし、
1日は雨ふってなかったよね?
なんでだろう??
投稿: 愛虎 | 2008年7月 4日 (金) 00:35
ほ~。
そういう調整をするものなのか。
そして農業用水としては使われていないのね。
今あの宿河原堰のあたりで、小田急線の工事で橋が一つ出来上がってきてるんだけど、そのせいかしら。
今あのあたり、工事関係者?とおもわれる人たちが船で川にでて、騒がしい感じになってるよ。
投稿: さゆぽん | 2008年7月 7日 (月) 22:20