河鍋暁斎

Kawanabekyousai 明けましておめでとうございます。

今年は人生で初めて田舎でのお正月を迎えなかったわけですが、感想として、

お正月という節目を、普段と同じようにバタバタ過ごしてしまうと、まったく新年を迎えた気がしていない。

お正月はぐーたらして、いよいよ新年だ~みたいな気持ちふつふつと彷彿させないと、「気持ち新たに」といった青々とした気持ちになれないのですね。

何もしない時間の重要性をまた改めて実感した、元旦。

今日は初詣もかねて、成田山の成田山書道美術館へ「酔うて候~河鍋暁斎と幕末明治の書画会」という展覧会を見に行きました。

このチラシを見て、すごくピン!ときてしまったわけですが、最近、とっても「鬼」的な存在にひかれます。(写真は妖怪ですけど)

きっかけは以前バリに行った時がちょうどお正月の時期で、新年を迎えるにあたって4メートルくらいはあったかなそのくらい大きな「鬼」の造形物を作って、厄除けを祈願してその造形物を最後には燃やしてしまうのですが、非常にその「鬼」のパワフルさに圧倒されました。

以前まではコワっ!、気持ち悪~い。こんな造形物を作る人はきっと気持ちが「鬼!」なのね、と感じては作者の気が知れなかったわけなんですが、バリの人々の作る鬼にはとってもプラス思考的な要素を感じたわけです。

これから自分に襲ってくるかもしれない難だとか災いから、恐れることなく立ち向かう、鬼を燃やすこと(私の中では退治する感覚)によって克服してやろうじゃないの、みたいな心意気を感じました。

それから会津に行った時の「唐人凧」(あれは鬼ではなくて唐人ですが)、長崎の「おんでこ」などの鬼の顔を見るたびに同じような感覚になってしまいました。

恐ろしい造形物には人間の「これを克服しよう」的な心理が現れていたりするのかなあと、ちょっと見る目線が変わってきていた今日この頃、この河鍋暁斎に出あえました。

非常に感動したのが「新富座妖怪引幕」(画像はその作品の1部分)。

幅17メートル、高さ4メートルという作品を泥酔?状態で即興でたったの4時間で描いたという作品。舞台の引幕なだけあって相当大きいのですが、役者を妖怪に見立てて一気に書きあげた筆跡が生々しく残っていて「うわ~」っていう言葉しかでなかったです。

はじめてゲルニカを生で見たとき、しばらく絵の前から歩けなかった衝撃と同じものを感じました。

ゲルニカほど作為的に描かれてはおらず(泥酔して書いてるところからして作為的になれない気もするけど)、メッセージ性も薄いのですが、何よりもその勢いに圧倒されました。

自分の体よりも大きい妖怪を一心不乱に描く行為を人前でパフォーマンスして描いた作品であることを知って、私がその場に居合わせることができていたなら、私が感じるところの「鬼」を描く人の気持ちの心理を重ね、何かに向かって「戦ってる」河鍋暁斎に、口をあんぐりさせて感動していたんだろうなと思いました。

新年そうそういいものみたなあと、少し元気に、そして戦闘モード。

今年は少し休業していた絵を書き始めようかなと思っています。これまでいろんな旅をしてきてめぐり合ってきた「鬼」の顔のデッサンをはじめようと思っています。

あ、今日記かいてて分かったんだけど鬼に引かれてる今の自分って、なにかと戦っていたりするのかもしれない・・・。無意識に惹かれるものってウソつかないもんね。

2008年は何かと戦う年になりそうな、そんな予感がしています。

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久しぶりにアートのことなど

Cid_a0001_1 ちょと携帯画像で失礼します。

この間、表参道は@MOGRAの「まさひろ展」のオープニングレセプションを見にいきました。

同讃岐出身、女子美出身のお友達のご案内でした。

まさにもぐらの穴ぐら的な場所で、1・2階はバーで、中2回?みたなところで作品を展示しておりました。

1階の部分でお友達と熱く語らっておりまして、さてさて作品を眺めて帰ろうかと思い、中2階に足を運ぶと・・・。

なんじゃこりゃー。

両手を絵の具に染めて、ざんばら髪を振り乱してさまよう女2人。

ちょうど私が上がった頃にはご丁寧に「片付け」をしていたところでしたが、片付けしてるその姿もクレイジー染みて思わず棒立ち。

この部屋は階段状になっていて、天井が高く、天井の高い奥の部分の壁には、ふるさとの風景が流れるような視点で展開される映像作品。階段を下りた先には彼女達のライブペインティング。薄暗い部屋の中に、心地よく流れる音楽。そして同じようなドレスを身にまとったクレイジーな妖精が2人。

そして私はその場所を、階段の上から眺め見る感じです。

これは壁に飾られた絵を見るより、そこに居て、その場所に入り込むことに意味があるような。ずーっと座り込んで眺めていたくなるような心地よい空間でした。

こんな空間の中でお酒なんか自分が飲めたら、理性なんてブっとんで、小さいことにも大らかに、意固地な自分の気持ちもほぐれて大爆笑できたりしたのでしょう。

いや、アルコールをいれずとも、もう1時間くらいこの空間に身を寄せていれば、ノン・アルコール、ゴー・トランスのさゆぽんは、大爆笑できていたかもしれない。

最近「死」について考えることが多々あるのですが、いわゆる肉体の「死」ということではなくて、精神的な「死」のことの方です。

「理性なんてぶっとんで大爆笑」という瞬間を、自分は「心のリセット」と感じます。今回見にいったオープニングレセプションの空間では、「心のリセット」ができる場所、時間だったと自分の中で思います。

そんな瞬間は生活の中でごく限られていて、たまにしかお会いできない。

昔の大学の友人は、自分が髪を洗う瞬間にそのような「リセット」ができると言っていました。富士信仰の信者は、死者装束をまとい富士山の中にある無数の穴に何日かこもることで、心のリセットを計ったという話もきいています。

私はその「心のリセット」を阿波踊りで体験したことがあります。何もかもとりあえず捨てて、ひたすら踊って「心のリセット」、心の死を体験することで、逆に生きる意欲がわいてくる感じです。

祭りバカはまた祭りの話になるのですが、祭りを「節目」のときと考えて昔の人は、バカになってお祝い、願掛けをするのです。ある意味お祭りで、心のバランスをとることもできたんだと思います。

少しアホになれる瞬間、心の死に出会えた時、さゆぽんは元気になれます。

そんな瞬間を生活の中でご案内できるのは、アートの力の1側面であるのかもしれないし、祭りの日でもあるのかもしれない。もしかしたらご案内せずとも、人それぞれの形で「心のリセット」を定期的にできている人もいるのかもしれない。

何はともあれ自分はそんな場所を自ら生み出したい、作っていきたい、そしておおきなお世話的にご案内していきたい、と努力しているわけで。

偶然にせよ、そんな場所を今回ご案内してくれたお友達のオープニングレセプションは、私の中でピン!とさせられた場所でした。

もう怪しい妖精はいないので、同じ体験はできないかもしれないけど、この展示は7月15日までやっています。

MOGRA→http://mogra-tokyo.jp/

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